こんにちは。storyIの猪俣恭子です。

「こうすればいいのに」とアドバイスをしたくなることってありますよね。

しかし、他人から与えられた答えよりも自ら発見した答えのほうが、本人にとって納得度が高いものです。

それをつくづく感じたことがありました。

以前、私はタバコをやめられない夫の愚痴をよく友人にこぼしていました。

「結婚したらやめるとか、40歳になったらやめるとあれだけ言っていたのに、全くだめ。
禁煙外来も途中で断念。もっと真剣に自分の身体のことを考えてほしいのに。なんでできないのかしら!」

見るに見かねた友人のMさんが、こんなアドバイスをしてくれました。

「ご主人の気持ちになってあげたらどう? そんなにうるさく言ったら可哀そうじゃない。
あなたが逆の立場だったら、どんな気持ちになると思う?」

ぐうの音もでませんでした。

私は夫への思いやりがないのかと自分を責め、かなり落ち込みました。

その一方、「そういう行動をとってしまう私の気持ちもわかってほしい」と悲しく感じました。

それから数日後のことです。友人のKさんと話す機会がありました。

「猪俣さんはご主人をとても大切に思っていますよね。そこまで心配してもらって、ご主人はとても幸せだと思いますよ。」

これには驚きました。
何せ「夫を大切にしていない」と反省していたのですから。

Kさんは全く違う見方を教えてくれたのです。

私がこれほどまで愚痴を言うのは、彼を大切に思っている故なのだと。

ほっとした安堵感と嬉しさがじわじわ広がりました。

本当は自分自身にどのような思いがあるのかは、なかなかわからないものです。
その思いが何かを彼女の言葉で知ることができました。

そうなった時に、初めて夫に対して違う見方ができることに気づけたのです。

「彼は本当に自分の身体について、何も考えていないのだろうか?
タバコをやめなくてもいい、と思っているのだろうか?」

そんなことはありません。
彼とて真剣に自分の身体について考えています。

ですが結果としてやめられず、辛く感じているのは彼も同様だろうと。

事実、吸う本数を減らそうとしていることは見ていてわかります。
そう思えた時、夫にあれこれと口やかましく言うことも、友人に愚痴を言うこともなくなりました。

それよりも、家族として出来ることは何なのか、それを冷静に客観的に考えられるようになったのです。

心理学者の故河合隼雄さんの著書にこうあります。

「人の言動の細部ばかりに目を奪われ、それらを変えようとしても、相手は変わりません。
むしろ相手の存在そのものを受けとめようとする姿勢が、やがては人の心を開き、自省のきっかけをつくります。

自分が無意識に相手に貼ったレッテルを外して『この人はいったいどんな思いを持っているのだろう』と相手の話を否定もせず肯定もせずに関心をもって聞くこと。

そしてその人の可能性を信じていると伝えることが大切なのです」

(『こころと脳の対話』新潮社)

Kさんがしたことはまさにこのことでした。

相手にアドバイスをしたくなった時は、相手が話している言葉の字面で判断している時です。

だからこそ、そういう時は「少し立ち止まって相手に聞いてみる」ことをおすすめします。
話している言葉の背景にあなたのどのような思いがあるのか、あなたの本当の願いは何なのかを。

聞きづらかったら、想像してみましょう。

「こうしたほうがいい」「ああしたほうがいい」とすぐにアドバイスをする人よりも、Kさんのように聞いてくれる人に、人は信頼を寄せるものです。

自分をわかろうとしてくれる人の前で、人は安心して心を開けます。

そうしてはじめて人は、自分の何かを変えようとチャレンジするようになるのです。