こんにちは。storyIの猪俣恭子です。

わたしがかつて会社員だった頃。
職場での上司とのやりとりは、概ね次のようなものでした。

上司「来月の目標は?」

私「そうですね。今月よりも10%は上乗せしたいです」

上司「そう、どうやってやるつもりだ?」

私「えーと・・・、そうですね・・・・」

そう質問されて、緊張が高まりました。
しかし、上司に悪気があるわけではありません。

部下の私が目標を達成できるようにサポートしたいからこそ、気にして声をかけてくれるのですから。

しかし、

「あと何件?」
「あといくら?」

と数字ばかりに集中するうちに、目標は義務でしか感じられなくなり、仕事は一つひとつのタスクになっていきました。

まるで「やることリスト」の解消に追われるような毎日で、次第に気持ちが渇いていく感じさえしました。

自分はこの会社の歯車の一つでしかない・・・

と感じ始め、仕事のモチベーションすらも下がったことを覚えています。

このように「目標」だけを扱い続けると、人はやがて疲弊します。

なぜかという、目標には「いつまでに、何をどれくらい」という数字(期日と達成基準)」しか入っていないからです。

そこには感情を含む表現がありません。

しかしながら、人にはそもそも感情があり、感情に影響を受けながら行動しています。
そこをないがしろにすると、心身ともに疲れ果ててしまうのです。

「目標達成」ばかりを掲げていると、もうひとつのリスクが浮上します。

それは「目標が目的化」してしまうことです。

例えば、今している仕事が何のためなのか・・・と言えば、

「お客さまに喜んでいただくため」

というのは、どの企業にもあることと思います。

しかし、現場で働く社員が

「今月の売り上げはどれくらいか、達成したのかしなかったのか」
「在庫はどれくらい減ったのか」
「経費はどれくらい削減できたのか」

とひっきりなしに言われ続けたとしたら・・・。

「売り上げを上げるためにできること」「在庫を減らすためにできること」と、目標が目的にすりかわることが起きてしまいます。

本当は「お客さまに喜んでもらうために何ができるか」「目的」であって、「売上をいつまでにどれくらい上げるか」というのが「目標」です。

かつて世間を騒がせた、商品の賞味期限切れの販売や産地偽装、飲食店でのお客さまの食べ残しの再提供など、不祥事の背景にあるのは「過度な目標至上主義」なのです。

部下が思わず達成したくなって、うずうずするような目標にしたいのなら、目標について部下とたくさん話をしましょう。

冒頭の会話の上司は残念ながら、そこが足りなかったのです。
私が目標について話したそばから、次の会話の展開は「どうやってやるの?」というアクションプランについてでした。

急にそう質問されても、アイディアは広がりません。
そうなった時にせめてできることは、「この場で上司が納得する答えは何か」と、その場しのぎの解決に考えをめぐらすことでしょう。

そうならないためにも、次の質問を部下に投げかけてみてください。

「どんな理由があって、その目標にしたの?」

「その目標を達成したら、どんな気分?」

「その目標を達成したら、あなたにとってどんないいことがあるの?」

「会社にとっては、どんないいことがある? 職場にとっては? またお客さまにとっては? 家族にとっては?」

「目標を達成したとき、誰が喜んでくれる?」

「目標を達成したら、どんなお祝いをする?」

「どんなサポートが必要?」

「今できていること、できていないことは何?」

「あなたの過去の成功体験や失敗体験から、今回に活かせるものは何だろう?」

「あなたがモデルにしている〇〇さんだったら、どうすると思う?」

「その目標に取り組む過程で、あなたは何を学んでいくと思う?」

「ここで活かせるあなたの強みは、何だろう?」

「目標に向かう過程で障害があるとしたら、何だろう?」

「その目標を達成したら、次に何にチャレンジする?」

「もしその目標を一か月ではなく、二週間で達成するとしたら?」

もちろん全部を使うのではなく、これらの質問から一つ二つを選んで問いかけるだけで、十分です。

部下は、その質問の答えを探しながら、アクションプランのアイディアも同時に浮かべています。

そうして自ら気づいたアクションプランは、他人から指示されるよりも、実際の行動にうつす可能性がずっと高くなります。

何せ自分で「やる」と決めたことなのですから。

目標についてたくさん話すのは、未来の成果を生み出す価値ある時間です。