運転免許は19歳でとった。
案の定、ペーパードライバーになった。
それでも社会人になって、「これではまずい!」と一念発起。
父を助手席に乗せ、休日に練習したこともあった。
しかし、相当、父は怖かったのだろう。

 「ああー! あぶないっ!!!!」
 「おーっ! ぶつかる、ぶつかる!!!」
 「何してるんだ!!!」
 「スピード落として、落として!!!」
助手席にいながら、父はとうとう足がつってしまった。
家に着けば、「もう二度と恭子の運転には乗らない・・・」
と、横になる始末。
やはり運転は向かないなあ、と意気消沈したものである。

ところが、夫は全く違った。
ペーパードライバーもなんとか卒業できそうな、
今から18年くらい前のこと。
休日に、車で横浜に行ってみよう、ということになった。
 「首都高が走れるようになれば、
  あとはどこに行っても大丈夫だよ」
運転はもちろん私だ。
首都高なんて走れるのだろうか?
カーブがあって、車線変更があって、合流箇所が何か所もあって、
それに走っている車は、みなスピードが出ている。
果たして、あの流れにのれるだろうか?
首都高を想像して怯える。
夫は怖くないのだろうか? こんな私が運転して。
私の心配をよそに、彼は「大丈夫だよ。指示するから」と、
全く気に留めない。
数年前の父が頭をよぎった。
本当に大丈夫だろうか?
 
 「前の車のスピードと合わせて。それでいいよ。
  はい、ここで左にウインカー出して。
  いいよ。左に入って」
苦手な車線変更では、助手席から後方を確認し、
入るタイミングをよどみなく教えてくれる。

難易度が高い合流地点が近づいてきた。
 「ねえ、大丈夫なの? 合流できるかな?」
弱気になる。
 「ここの合流は、慣れている人でも難しいんだよ」
そう聞いて、気が楽になる。

 「そろそろ右の車線に入って」
 「右にウィンカー出して。そのまま走って。
  よしっ、右に入って」
またもや指示。
この指示のタイミングが非常に的確で、感心した。
彼の指示に従っていれば、絶対間違いない。
安心してハンドルが握れた。
しかも、ただ走っていればいいだけのところは何も言わないのだ。
静かにしている。
余計な口出しはしない、というところだろうか。
このように落ち着いていてくれると、
自分の運転にささやかな自信さえ感じられる。

それに、アドバイスが実にシンプルなのだ。
 「後ろから来る車がドアミラーに映らなくなる距離があるんだよ。
  それだけ気をつけて」
 「ウィンカーを出してすぐに車線変更するんじゃなくて、
  ゆっくり車線変更すれば、後ろの車が気が付いてくれるから」
なるほど! 
ああ、このままいけば無事に着くな。
危ないところは「ああして」「こうして」と言ってくれるし、
何も問題なしだ。
次第に彼に頼り始めた頃、青天の霹靂が起きた。
首都高から東名に入り、数分経った頃。

 「ここまで来れば大丈夫。
  あとは、ひたすらこの道を走ればいいから」
そうかそうか、ひたすらこの道を走ればいいのか。
よかった、よかった。

 「疲れたから、寝る。
  出口が近くなったら起こして」
そう言って、助手席をさっと後ろに倒し、
新聞を顔に被せて、なんと寝てしまったのだ!
えー、嘘でしょう?!
一瞬にして、不安と緊張。
いくら道なりに走ればいいとはいえ、
若葉マークをつけている私にとっては、どきどきものである。
何かあっても、自分で判断するしかない。
何かあったら・・・。
心細かったが、とにかく前を見て運転するしかない。
覚悟が少しずつ定まる。

会話も何もなく静かな時間がただ過ぎた。
 「そろそろだな」
彼がやおら起き上がった。
確かに出口はもうそろそろだ。
本当に寝ていたのか、目だけつぶっていただけなのか、
まったく読めない。

 「次で出るから。
  スピードを少しずつ落として。そう、それくらい」
また指示が始まる。

 「料金所をでたら、車を止めて。運転、代わるよ」
実際、相当疲れていたので助かった。
そうして横浜の目的地に無事に到着。

しかしながら、彼は大したものだ。
私の習得度に応じて、
アドバイスをする内容とタイミングを心得ている。
アドバイスをする時は、決してながながと説明しない。
何をどうするかを簡潔にはっきり言い切る。
「あぶない!」「ほら、スピード落として!」のように、
運転する私がびくつくような言い方をしない。
あれもこれもではなく、「今、必要なこと」に絞って教える。
できているものは口出ししない。
初めてやるものには、再び指導モードになる。
脱帽したのは、
ここはもう一人でも大丈夫と判断したところは寝てしまうなど、
100%私に任せられるところだ。
もしも彼が、道中ずっと指示しっぱなしだったら、
私は一人で運転ができるまで、
相当時間がかかったかもしれない。

その日、自宅に帰ってから、彼が言った。
 「首都高も走れたから、もう大丈夫だね」
暢気なものの言いように呆れたが、
わかったことがある。

それは、100%任せられたら、
「やるしかない」と腹を括れるということだ。
腹を括れるということは、自分ごとになるということ。
そうなれば、必死さが違う。本気になって取り組む。
習得のスピードが早くなる。

私が車を運転できるようになったワケ。
拙著『女性ためのリーダーシップ術』23ページにあった、
教習所の教官とのやりとりもそう。
義弟のH君の承認上手もそう。
そして、夫の教え上手もあった。
それらがあいまって、実現したようなものだ。

三人三様ともアプローチは違っていた。
共通していたのは、どこかで私を「信じてくれていた」ことだ。
今はできないけれど、「やればできる人」と、
真っ向から信じてくれていたように思う。

そして今。
相手に知識や技術を教える場面では、
三人から教えられたことを都度思い出す。
今の自分は、効果的に教えられているだろうか。
18年前の三人とのやりとりが、懐かしく思い出される。

追伸
先日の朝、夫と言い争いをした後、車で送る。
「なんだか、運転こわいです・・・」と怖がられた。
いけない、いけない。初心に戻って、初心に。笑

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