沈黙を活かす、ということ。

これをとても大切にしている。
会話は、言葉だけで構成されているのではない。
会話は、言葉と沈黙で構成されている。

なんて知ったように言っているが、
コーチングを学び始めた2004年の頃、このことを知った時は、
まさに“がーん!”と頭を殴られたように感じたものだ。

何せ、私は、おしゃべりである。
学生の頃は、“マシンガントーク”という異名を先輩から授かったほどだ。
社会人になっても、そういう会話をしていたと思う。
「私って聞き上手」と思っていたが、
あの当時の私は、会話に沈黙が生まれるのが怖くて、
「聞き上手」ではなく「訊き上手」だったのだ。
相手が話し終わるや否や、
「なんでそこに行こうと思ったの?」
「そうなんだ、で、何が良かったの?」
「どれくらいの人が来てたの?」
「どんな人が来ていたの?」
それはもう質問はエンドレスに・・・。
ただ知りたいことを、ただ訊いていただけだった。
しかも、このように途切れない会話をつくれる自分は、
コミュニケーションに長けている、と思っていた。
しかし、どうだろう?
言われたことはないが、
相手は相当疲れていたのではないか?
「あなたは本当に元気だね」と何人もの人から言われ、
それは褒め言葉と思っていたが、
圧倒されていただけだったのかもしれない。

だから、「会話は、言葉と沈黙で構成されている」という文章を読んだ時は、
とても新鮮だった。
それまでは、会話は言葉だけで構成されているものと思っていたのだから。
だから、言葉だけで会話を埋め尽くそうと頑張っていた。
私も私なりに無理していたのだ。

しかし、人が話をしながら気づきが起こり、
自分という人を知り、考えを整理し、
今までのアイディアとアイディアを融合し、
新しいアイディアが自然に生まれるのは、
静かな「沈黙」の時間があってこそだ。

ということがわかってから、
面白いことに、相手が黙っている沈黙の時間が、
とても居心地よく感じられるようになった。

そうそう、大切なことがもうひとつある。
相手から生まれた沈黙ならば、
その沈黙を破るのは相手である、ということ。
私たちのほうが、
「こういうことかな」「ああいうことなんじゃない」
と、よかれと思って声をかけない。
せっかく相手は一生懸命に考えているのに、
邪魔することになってしまう。

沈黙の時間を一緒に味わい、共有する。

会話にそういう時間を創ってくれる人と一緒にいると、
人は、もっと落ち着いてくる。
落ち着けば、自分のペースで考えられるようになる。
考えたくなってくる。
そして、その考えを自分の言葉で表現したくなってくる。
表現すれば、さらに気づきが起こる。
それに、話してみて初めてわかることも多い。
やっぱりそうなんだ、と思うこともあれば、
ちょっと違うな、と思うこともある。
そうすると、「何が違うんだろう?」と、さらに深く考える。
そうしたプロセスがあるからこそ、
人は、自分なりの答えが持てるようになるのだ。

相手が「うーん・・」と眉間に皺を寄せて
ちょっと苦しそうな表情になったら、喜ぼう。
沈黙の先に、相手から何がでてくるのか、わくわくしながら待とう。
にこにこと、深呼吸でもしながら、ゆっくり待つ。

「沈黙こそ、アイディアの母」と言っても、過言でなし。

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