結論は何かというと、
「周りからみて自分はどれくらいのランクなのかを意識すると、
 今より、さらによりよくなっていくんじゃないの?」ということ。
なので、
「一人妄想でもいいから、
 自分をランクづけることを遊び感覚でもいいから、
 やってみませんか?」
ということだ。

なぜそう思っているのか。
こんな体験がある。
最寄駅近くに携帯ショップがある。
二年ほど前の話だ。
窓口での販売担当の方は若い男性。
非常に感じが悪く、びっくりしたことがある。
あまりにもこのままにしておいては、
その携帯ショップのイメージが落ちるのではないかと思い、
後日、店長だったかサービス部門だったかに、
フィードバックしたことがあった。
もれなく、次のようなイメージを持った。
「携帯ショップの販売員はなべて感じが悪いぞ。
 忙しいから仕方がないのかもしれない」
と。

さて、昨年のこと。
スマホがあったほうがやはり便利と、
仕方なくそのショップに出向いた。
どうせ邪見にされるような応対だろうから、
もう気にしないでおこう、と心の準備をした。
しかし、今度の販売担当の方は、若い女性。
以前の方とはまるで違う感じのよさ。
その方のアドバイスや意見を参考にしながら、
商品を購入するプロセスがとても楽しかった。
またこのお店に来たい、とまで思った。

以前はなかったことが、
今回の応対には最後にこんなシーンがあった。
「明日、猪俣様あてにメールが届きます。
 私の応対についてのアンケートです。
 よろしくお願いいたします」
と。
なるほど!
こういうことがあって、応対がよくなったのか。
というのは失礼か。
より一段とよくなったのか。
評価されるとなれば、やはりよい評価は欲しいから、
応対に磨きをかけるというものだ。
先日、用事があってその店に行ったら、
今度は「店全体で顧客満足『大変満足』を目指しています!」という
チラシが貼ってあった。
アンケート結果で店全体の評価もはかられているようだ。
そこまでやっているからというのもあろうが、
販売員の応対はさらにレベルが上がっていた。

もちろん本質的なところを鑑みれば、
これらが全て「よし」というものでもない。
しかし、評価され、ランクづけされることで、
今の自分をより磨く動機にはなる。
たとえ、強制的な動機から始まったことであっても、
こうして応対がよりよくなっていれば、
その人たちの可能性が花開くきっかけになっている、
とも言えるだろう。

かくいう私も評価され、ランク付けされる環境にある。
ああ、どうしてこの評価なのだろう?
心が痛むこともある。
しかし、相手が私に対してどのように捉え、
どう思い、どのような評価をしようが、
その人の自由なのだ。
その「自由」を奪ってはならない。
なんてことを大切にしているが、
そういう環境にあると、手が抜けない。
私は何のために、誰のためにこれをするのか、しているのか、
自分なりのビジョンとミッションをすごく考えながら仕事をする。
いただいた評価にとことん向き合い、また修正をはかっているが、
その積み重ねの機会をいただいていることで、
成長できているかな、とも思う。

緩やかな環境で仕事をすることもあるが、
そういう時だからこそ、
「もし、〇〇〇〇というテーマで私がランクづけされるとしたら、
 今の私は何位くらいだろう?」
と、一人ランクづけを想像することもある。
「何位」という数字があいまいにしかイメージできない時は、
正直に言おう、手を抜いているときだ。(まずい!)

いつも、必ず、絶対、そうしよう、というものではない。
折に触れ、自分は部下からメンバーから上司としてリーダーとして、
どれくらいの評価で見られているのだろう、
相手のランキングでは何位くらいにいるのだろう。
そう考えることは、
決して無駄ではないと思う。

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