仕事でお世話になっている方から、
とても素敵な「お話し」を教えていただいた。
それは、「人を育てる」物語だった。
読んで、ぐっときた。
こんな思いをしたのは、いつぶりくらいだろう。
「こちらのブログに載せてもいいですか?」とお願いし、
快く承諾いただいた。

下記の記事を書かれたのは、江口克彦さん。
前参議院議員、PHP総合研究所元社長、松下電器元理事という経歴を
お持ちで、松下幸之助さんの側近として20数年働いていた方だ。
(出典/東洋経済ONLINE2016年2月12日記)

人を育てるとは、具体的に何をどのように・・・・ではなく、
人としての在り方なのだなあ、と感じ入るばかり。
スキルや知識の習得云々だと時間がかかりそうだが、
自分の「あり方」であれば、今からでもすぐ変えられるのではないか。
“松下幸之助だから、そうなんでしょ”と、思ったらもったいないことだ。
それにしても、後世に遺していきたいエピソードは、
こうして語り継がれていくのだと、
そうして先人から私たちは学べるのだと、しみじみと感じ入るばかり。

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松下幸之助のそばで仕事をするようになってから確か2~3年した頃に、米国
からハーマン・カーン氏が来ることになった。「日本に行くからには松下さん
に会いたい」ということだった。

それならば会いましょうということになったのだが、そのハーマン・カーン氏
が松下に会う1週間か10日ほど前になったころ、松下は私に突然こう尋ねた。

「今度、ハーマン・カーンという人がやってくるんやけどな、きみ、どういう
 人か知ってるか」

唐突な質問だったが、私は何の躊躇もなく、立て板に水で巧みに答えることが
できた。

「ハーマン・カーンという人は米国のハドソン研究所の所長で、未来学者です。
 そして21世紀は日本の世紀だと言っている人です」

有名人だったため即答できたが・・・なぜ即答できたかといえば、当時わが国
の政治家が、このハーマン・カーン氏の「やがて来る21世紀は日本の世紀に
なるだろう」という言葉をしきりに引用しており、それが新聞に載ったり、テ
レビで放映されたりしていたからである。

私の胸には、突然の質問に即答できた満足感が広がっていた。いつもは「ちょ
っと調べてきます」などと言ってモタモタしているのだが、今回はきちんと答
えられてよかったと、いささか得意なほどの気持ちだった。

松下は私のそのような答えに軽くうなずきながら、「そうか、わかった」と返
事をしてくれた。私はおおいに満足して、それから午後は気分よく過ごしてい
た。ところが翌日になると松下は再び、「きみな、今度、ハーマン・カーンと
いう人がわしに会いに来るそうやけどどういう人か、きみ知ってるか」と聞く。

えっ、と思った。

昨日、松下は同じ質問をした。どういうことか。質問したことを忘れたのか。
仕方がないから昨日と同じ答えを繰り返した。ハーマン・カーンという人は米
国の人で、21世紀は日本の世紀だと言っているハドソン研究所の所長です。そ
れ以上のことは知らなかったから、それだけしか答えることはできなかったが
私はそれで十分だと思った。

その答えに松下は再び「ああ、そうか」と答えた。やはり、昨日私に質問した
ことを忘れていたんだな。まあそういうこともあるだろうと思いながら、話題
は別のことに移っていった。

ところがである。さらに、翌日も真々庵のサロンで話をしていると、またもや
松下は「今度、米国からハーマン・カーンという人が来るそうや。きみ、どう
いう人か知ってるか」と言う。

3度目の同じ質問に、私は憤りを感じていた。

3日続けて同じ質問。なんということか。いかに私が一社員の若輩であっても
もっと真剣に尋ねてほしい。ずいぶんといい加減に聞いているのではないかと
いう思いが、心の中にパッと広がった。表情も険しいものになっていたはずで
ある。

松下はそういう私の表情もさほど気にかけない様子でさらにもう一度「きみ、
知ってるか」と繰り返した。

繰り返されれば何か答えなければならない。答えなければならないが、これま
での答えしか持ち合わせていない。「ハーマン・カーンという人は米国のハド
ソン研究所の所長で、未来学者。21世紀は日本の世紀になると言っている人
です」私は、判で押したように同じ答をした。

松下は私の三度目の同じ答に対しても、さほど表情を変えずに「うん、そうか。
そういう人か」と言った。

私の気持ちはおさまらなかった。なんということだ。これが1週間をおいて質
問されるというのなら、まだ納得できる。しかし、3日も続けて同じ質問とは
どういうことか。人の育て方がうまいとか、人の使い方がうまいとか言われて
いるが、上手でもなんともない。いい加減にしてほしい、というのが私の気持
ちであった。

その日の午後はうっとうしい半日となった。そんなことを思い続けていたその
日の夕方になって、私はふっとあることに思い至った。

「待てよ。松下が同じ質問を繰り返し、そして私が同じ答えを繰り返している。
 それは、自分が質問したことを松下は忘れているのではなく、その質問に対
 する私の答が不十分だからではないのだろうか。もっと詳細を聞きたい、も
 っと詳しいことを聞きたいということではなかったのか。そうだ、きっとそ
 うなのだ」

その日、私は仕事が終わると書店に直行した。

棚を捜して、ハーマン・カーン氏の書いた『西暦2000年』という650ペ
ージの本を買い求めると、急いで研究所に戻り、さっそく読み始めた。しかし
そうとう分厚い本である。飛ばしに飛ばして走るように読んでも、なかなか進
まない。ハーマン・カーン氏がどのような人物か、どういう経歴の人か、どう
いう考えでどういう主張を持っているのか。なぜ、21世紀は日本の世紀と言
っているのか。そのようなことを記録用紙3枚ほどのメモにまとめあげた。夜
中の1時半までかかった。

「うん、これでいい。これだったら30分ぐらいの報告ができる。明日の朝に
 でも聞かれればこれで答えよう、十分にとは言えないまでも今まで以上には
 丁寧に答えられるだろう」

そう思うといささか心躍る思いであった。さあ、仮眠しようと事務所のソファ
に横になったけれども、集中して頭を使ったあとは、目が冴えてなかなか眠る
ことができない。

それならば、と起き上がってテープレコーダーを持ち出し、先ほど記録用紙3
枚にまとめたものを録音することにした。しかし、なにせ素人のすることだか
ら、そうスムーズに録音できるわけもない。森閑とした真夜中に録音を始め、
結局、明け方の4時半までかかってようやく、そのメモの録音を終了すること
ができた。

松下に会うまで2、3時間の仮眠をとった。翌日、眠たいはずであるにもかか
わらず、私は一向に眠いという感じはしなかった。それよりも、松下の車が到
着するころから、面白いことに私の心は、昨日とうってかわってなんとかハー
マン・カーンという人はどういう人か、尋ねてくれないかという気持ちでいっ
ぱいだった。背広の内ポケットには3枚の記録用紙が入っている。外のポケッ
トには録音テープを潜ませていた。そして時折ポケットの上から触ってみて
「あるある」などと思ったりしていた。

しかし、そういうときに限って、というわけでもあるまいが、松下と話をして
いてもなかなかハーマン・カーンが出てこない。

私は昨日の憤りの気持ちはどこへやら、聞いてほしい尋ねてほしいと思い続け
ていた。「忙しくなりますね」「外国人のお客さまがおいでになりますね」と
水を向けてみるが、のってこない。ついに正午になってしまった。今日はもう
聞かないのかな、さすがに三日連続で聞いたのだからと諦めかけた。

お昼ご飯が運ばれてくるまでのちょっとした間であった。

いつものように雑談を始めると、突然に松下が「今度な・・・」とそう言いか
けた途端に私は思わず、ハーマン・カーンという人が来るんですね、と言って
しまった。

「そや。きみ、その人どういう人か知ってるか」

そう聞かれた時の嬉しさを、今でもはっきりと思い出すことができる。嬉しか
った。昨日までの憤然とした気持ちとはうって変わって嬉しかったのである。
心躍る気持ちで、おもむろに内ポケットからメモを取り出すと、丁寧に、得々
として説明を始めた。

30分ほどはかかったと思う。

松下は昼食に箸もつけずにそれをじっと聞いてくれていたが、私の説明が終わ
ると、にっこり笑って

「うん、ようわかった、ようわかった」

と頷いてくれた。昨日までは1回だった「わかった」が、その時は2回「よう
わかった、ようわかった」である。表情も満足げだ。その1日、私は嬉しく思
いながら過ごした。

夕方になって、松下が帰りの車に乗りこむとき、私は吹きこんでおいた録音テ
ープを手渡した。「今晩、時間があればどうぞお聞きください」「ああ、そう
か」と松下は無造作にテープを受け取ると、ポンと車のひじ掛けのところに置
いた。その受け取り方を見て私は、これはたぶん今晩は聞いてくれないだろう
と思った。しかしまあいい、報告はうまくできたのだから、と十分に満足だっ
た。

翌朝、松下の車がやって来た。

いつも私が車のドアを開け、顔を合わせて「おはようございます」「おはよう」
という会話になる。ところがその日、松下は何も言わずに黙って車を降りた。
今日は機嫌が悪いのだろうか。仕方がない、今日1日付き合わなければいけな
いなと思った。

しかし、10秒ぐらいの短い時間のはずだが、それは15分間以上にも感じら
れる一瞬だった。私は当惑して、いったい何だろうか、何を言われるんだろう
かといぶかった。

その一瞬の間をおいて松下は私にこう言った。

「きみ、いい声しとるなあ」

その言葉を聞いたとき、私は不覚にも涙のでる思いがした。「聞いたよ」とか
「わかったよ」ではなかった。

「きみ、いい声しとるなあ」という言葉には「よく気がついた」「よくやった」
「よく内容もちゃんと報告してくれた」というすべてが含まれていた。そのよ
うなことは以心伝心、はっきりとわかるものである。私の吹きこんだテープを
聞いてくれていた。聞いてくれただけではなく、その努力を、熱意を認めてく
れたのだ。それだけではない、内容も評価してくれた。

「きみ、いい声しとるなあ」という松下の言葉から、それだけの意味と心が自
然に伝わってきた。感激した。大仰な言い回しになってしまうが、「この人の
ためなら死んでもいい」という気持ちになっていた。

しかし、私はここで感激したということだけを申し上げたいのではない。

松下が同じ質問を繰り返し私にしているということは、すなわち部下の答えが
いいか悪いかよりも先に、「この社員を育ててあげよう」ということを優先さ
せているのである。だから「そんな答えでは中途半端だ」とは言わなかった。

同じ質問を繰り返す。繰り返しながら、部下が自分で気がつくまで根気よく待
つ。

「それは駄目だ」「そんな答えは答えになっていない」「お前は役に立たない」

松下は、22年間をそばで過ごした間、1度もそういう言葉は言わなかった。
本人が気がつくまで、自覚するまで、根気よく尋ね続ける。その松下の姿勢に
は、若い者や部下を、育てたいという愛情があることを私はつねに感じていた。

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