お世話になっている歯科医院がある。
かれこれ7年くらいになる。
院長先生の人格ゆえだろうか、
数人いらっしゃる若手医師もなべて感じがよい。
穏やか、対応が細やか、
説明がわかりやすい、術も丁寧な感じがする。
こちらの歯科医院の採用基準が高いのか、
もしかしたらこちらの歯科医院は、
大学での評判もよいのかもしれない。
それゆえ、よい学生を優先して紹介してもらっているとか。
まあ、想像の域だけれども。
さて、先日担当くださった医師は、
20代半ばくらい。
大学を卒業して数年というところだろうか。
初めてお会いする方だった。
この医師も例外なく感じがよい。
「困ったことはありませんか?」
の質問にしぼりだして困ったことを話したら、
かゆいところに手が届くくらい具体的に説明くださった。
麻酔をすれば、その麻酔でどうなるのか、
何に注意してほしいのかの説明も細やかだった。
治療も勢いやスピードという感じではなく、
細かくひとつひとつを積み上げるような術の感じがして、
好感を感じた。
と思っていた矢先、面白いことが起きた。
医師が衛生士に指示した。
「あの赤いの持ってきて」と。
衛生士、「え? 赤いのって・・・?」。
医師、「あの赤い〇△×・・・」と答える。
〇△×には「テープ」と聞こえたような。
なんとなくあぶない感じがした。
これで通じるのか? 果たして結末は?!
衛生士が持ってきたものは、案の定・・・。
医師「これじゃなくて、赤い〇△×××〇〇△△・・・・」
「あー」と腑に落ちたような衛生士が
再びぱたぱたと探しにいって、
持ってきたものは、
それこそ医師が指示していたものだった。
“ものだった“といっても、
目にタオルをかけてもらっている私は、
何も見えない。
すべて妄想である。
的確な指示をしよう、とはよく聞くが、
これはすべて上司側の責任だけじゃないと思っている。
部下も部下のほうで、
上司が「あれ」と指したものは、
その状況とタイミングで
おそらくこれだろうと察しがつけるくらいになってほしい。
まあ、それこそベテランの部下といえるだろうが。
しかし、さっきの場合をみてみよう。
医師の方では、「赤いの」が何なのかを
ちゃんときちんとわかるように言い直すエネルギーを費やした。
衛生士の方は、「赤いの」が何なのかを
それなりにぐるぐると考えることにエネルギーを費やし、
多分あれだと察しをつけ探して持ってくるというエネルギーを費やし、
それが違っていたというストレスにエネルギーを費やし、
正しいものを再び探しにいってとってくるというエネルギーを費やした。
時間にすれば、三分たらずだが、
結構なエネルギーを消費していると思う。
「あれ、これ、それ」で済ませたくなる時もある。
「できる限り」「ちゃんと」「責任をもって」という形容詞で、
すませたくなる時もある。
でも、もうひと踏ん張りしよう。
もうひと踏ん張りの的確な表現が、
相手のエネルギーを相手の本来の役割を果たすために
使えるエネルギーへと回すことができる。
そういえば、友人がこんなことを言っていたっけ。
「あの上司はとてもおおざっぱなの。
指示なんて何を言っているのかわからない。
あの上司から呼ばれて指示をされるんだなあと思うと、
それだけでストレスが上がるのよね」
言わずもがなのことだけど、
的確な指示、やっぱり侮れない。