coachAcademiaというコーチングプログラムで、
2006年から進行役のクラスコーチという役割を続けている。
もう11年だ。
新人クラスコーチのAさんに聞かれた。
「猪俣さん、クラスコーチ、随分長いですよね」
辞める方もいらっしゃるのに、
どうして猪俣さんは続けているんですか?」
新人ゆえに、Aさんには未来への期待がある。
純粋なるその質問に、
私のほうはというと、ドキドキしてしまった。
なぜ、やっているかって?
あれ、どうしてだっけ?
理由があるはずなのに、でてこない自分に焦った。
もしかして、惰性で続けている?
これといって辞める理由がないから、とか?
自分にとって勉強になるから?
もっと大切な思いがあったような・・・。
そうだ、思い出した!
「私、クラスの受講者のこと、尊敬しているの。
だって、相手のために自分の何かを変えようとしている人たちでしょ。
今の現状をよりよくしていきたいと思っている人たちでしょ。
そういう人たちとともに、コーチングを学ぶ場をつくることは、
すごくやりがいを感じているから」
「あー、そうなんですねぇー」
Aさん、納得したようだ。
それからしばらく日は経ち、さらに思い出した。
そうだ、自分があのプログラムの参加者だったとき、
クラスで学ぶことが楽しくて仕方がなかったんだっけ。
クラスコーチや参加者からアクノレッジを受けたり、
ディスカッションしたり、コーチングを練習するのが楽しかった。
学んだことを職場で試してみたら、少しずつ状況がよくなって、
少しずつできることが増えていって、面白かったのだ。
受講者同士の連帯感もできて、お互いに切磋琢磨していったっけ。
そういう場を今度は私が提供していきたいと思っていたのだ。
参加者が、周囲の人たちとの関係がよりよくなり、
チームで成果をあげられる環境づくりがよりできるようになる、
そんなきっかけの場でありたい。
参加者の未来に、
「あなたと一緒に働けてよかった」と周囲から感謝されるような、
そんな未来に向けて、クラスをファシリテートしていきたいという、
そんな思いがあったのだっけ。
いけない、いけない。
最近は、クラスコーチという時間が、
単なるルーティンワークになっていたことに気づき、
ひやっとした。
Aさんの問いかけは、
今自分がしていることの意味や意義についての振り返りにつながった。
これは、仕事の場でも十分あることだ。
誰しも、仕事や働くことへの意味や意義、想いがあったはずなのに、
日々日々目の前のことに追われるあまり、
忘れてしまっている。
そのうち毎日取り組んでいる仕事が、
さっきの私のように「単なるルーティンワーク」になってしまっている。
人によっては、苦痛に感じるものにさえなっている。
それでは、ストレスレベルが上がる一方だ。
なぜ、この仕事をしているの?
なぜ、この会社で働いているの?
この仕事は、社会にどんな貢献をするの?
自分に対しても、相手に対しても、
目の前の仕事の意味を問い、その意味を語れる存在になろう。
無味乾燥に感じてしまう仕事を
自分にとって価値あるものに変える問い。
そんな問いを自分にも相手にも投げかけてみよう。
同じ時間でも、仕事の成果は上がっていくはず。
気持ちももっと軽やかになるはず。