相手と過去は変わらない

だから?

 だから、自分と未来は変えられる

よく聞く言葉だ、この言葉。
聞いた時は「その通りだ」と納得できる。
しかし、しかし・・・なのだ。

会社員だった頃、
職場の誰もから問題視されていた若手社員がいた。
Aさんとしよう。
ある時、同期にどれだけ私がAさんの指導で困っているかを
愚痴めいて相談したことがある。
その時、冒頭の言葉でアドバイスされた。

「ほら、過去と他人は変わらないっていうでしょ。
 だから、あなたが変わらなくっちゃ」
理屈ではそうだろうが、
なぜに、私ばかりが変わらなければならないのか?
納得できなかった。公平じゃないとも感じた。

さて、今から十年ほど前のことだ。
再び、この言葉を思い出す出来事があった。
大学受験を控える高校生の息子さんをもつ友人のエピソードだ。
見事、息子さんは有名私立大学に合格。
どんなサポートをしていたのと尋ねると、
はじめの頃はとんと上手くいかなかったと返ってきた。
勉強嫌いな息子と、
どうしても勉強させようとやっきになる母親。
二人は反発しあっていたそうだ。
そのうち、息子は友人を避けるようになった。
彼女は、いったいこの状況で何が悪いのか、
何があったら息子は楽しく勉強するようになるのか、
考えに考えた。
そうして浮かんだ言葉が、冒頭の言葉。
 相手は変えられない。
 でも、自分は変えられる。
しかし、もうひとつ選択肢があると思ったそうだ。
第三の選択肢?
それは、
 変えるのは、相手でも自分でもない。
 お互いの関係なのだ。
と。

関係?
お互いの関係をよりよくすることに
取りくんでみようと思ったそうだ。
今までは、相手の意識と行動を変えるべく、
「早く勉強しなさい」「あきらめないでやりなさい」
「いつからやるの?」「どこまで終わったの?」
という指示や確認することばかりの会話。
二人の構図は、「勉強をさせる人」と「勉強をさせられる人」。
それをどう変えたのか?
「息子の夢が叶うようサポートする人」と「自分の夢を叶えたいと思っている人」、
のような関係のイメージを持ったそう。
そのうち息子への問いかけが変わった。
今までは「早く勉強しなさい」の一方向的な指示。
それが「どうしてその大学に入りたいの?」「大学生になったら何がしたい?」など、
動機付けになるような問いかけをするようになったそうだ。

なるほどなあと思った。
ここで冒頭のエピソードに戻る。
若手社員Aさんと私の関係は?
さしずめ私は、若手社員のお目付け役というところだろうか。
お目付け役、すなわち「監視する人」と「監視される人」、
という関係だったかもしれない。
だとしたらAさんにとって、
私は会社で最も煙たい人になっていたかもしれない。
そう思ったら、過去の話ながら可笑しくなってしまった。

あの当時、Aさんはどうなりたいと思っていたのだろう?
何ができるようになりたいと思っていたのだろう?
なんのために働いていたのだろう?
そんな興味を持ちながらAさんと共ににいたら、
ただ問題視して愚痴を言って終わることもなかっただろう。

相手も自分も変える必要はない。
ほんとうに変えるべきは、お互いの関係性。

人間関係の問題。
これで結構、いい方向に改善されるのでは?