先日、対面での研修を担当。
研修コンテンツの一つに、「自己肯定感」あり。
「自分を信じる力」、非常にあいまいだが、この見えない、実体のないもの。

ふつふつと自分を自分らしく導線のようなもの。
研修では自己肯定感を取り戻すためのエクササイズがあり、次の問いを考える。

① 今まで困難だったこと、大変だったこと、何があった?
② どのように乗り越えた?
③ 何が助けになった? 誰が助けになった?
④ その時に発揮した自分の強みは何?
⑤ このワークを通して学んだことは?

受講者が奇数だったので、私も一緒に参加した。

エクササイズ開始。
最初は私が話し手に。
いくつか大変なことは今まであった。
一番最近だと、2021年の夫を見送ったこと。
バイバイと。

どのように乗り越えたかというと、時が一番の薬とはいうもので、現実に抗うことなくその流れにのって、一日また一日と生きて今にたどりついたかな。

助けになったのは、仕事、友人、そしてクライアントの方たち。
夫を悼んでくれた人たちの存在も有難かったな。

ここまではスラスラと話せる。

聴き手の方は、自分は昨年結婚したので、そういうことはまだ想像できないと共感しきりで聴いてくれる。
この話題、彼女にとって重かったか?
気になりながらも話を続ける。

さて、問題は次の問いだ。

その時に発揮した自分の強み?

困難なことや大変だったこと、辛いと感じる局面を乗り越える時は、人は無意識に必ずや自分の強みを発揮しているものです、強みは自分ではわからないんです、そこで、相手から聴こえた強みを教えてあげましょう。

と、したり顔で研修で解説した講師の私。

ほんとだわ。
わからないわ、自分の強み。

「自分の強み? 強み、強み? なんだろうなぁ。これ、本当にわからないわ!」

腕組みして唸る私を見て、聴き手の彼女は、まるで新緑のような爽やかな声のトーンでこう言った。
「猪俣さん、起きていることに抗わなかったって言っていたじゃないですか。だから、事実に沿って生きていくというか、それが強みなんじゃないですか?」

「いいこと言いますね! それって、適応力とか変化に応じていくとか、そんな感じですか?」
「そうです、そんな感じです」

そうか、変化に適応していく。

傷つきながらも、怪我を負いながらも立って、よろめきながらでも歩き続けるのは、私の生き方そのものかも。

一方、課題も明確に。
状況に応じようとする意識が高いから、「改善点、問題点」が盲点になりがち。

状況をより良くするための提案や意見やアイディアが生まれにくい。
そういうところもある。

彼女との年齢差。
25~30はあるだろう。

しかし、共通の目的を抱いて、相手が達成したいことに到達できるように2人で協働している時間。
世代間の違いなんて、超えるね!

それを実感したささやかな体験。
職場でも、このような問いを用意して、時々社員同士でシェアしあう。共有しあう。
多様性のなか、お互いに距離感をつかみづらい世の中だからこそ、効果がありそうな。

多分、あの彼女に会うことはもうないだろう。
でも、心のアルバムに彼女の笑顔の写真は間違いなく残る。