先日担当した研修にて、オブザーブ講師から「白熱教室のよう」とアクノレッジいただく。

結果、ご機嫌。

さすが、その方、マナー研修の専任講師。
私が喜ぶフレーズを選ぶそのセンス、素晴らしすぎる。

研修は新入社員対象。

Z世代? よくわからない。
結局一人ひとりは違うし。

一見クールに見える彼らだが、奥底では人との「つながり」を強く欲しているような?

もしかすると、本当の感情を気づかぬふり、気にしていないふりをしているかも。
もしくは、感じないようにしているかもしれない。

そんなことを想像する故、研修では強調して伝える。

「正解を導く時間ではない。だから、『私はこう思う、考える』を話してほしい。自分の『考えや気持ち』と出逢うことが目的だから」と。

そのうち新人たちの声が大きくなる。
自分の体験と紐づけた気づきを発表するようになる。

新人たちは、場を仕切る人が期待していることをキャッチする力がえらくある。

生存本能故だろうか。
こちらを見ていないようで微細に感じ取っている。

だからだろうか。
話題が「感情とどう付き合うか、感情に巻き込まれないか」になると、目の色が変わる。

一斉にメモを取り始める。

感情とつきあうコツ?
それは表現の仕方にある。

不安を例に挙げるなら、「私は不安だ」と言わない。
そう言ってしまうと、まるで自分が感情であるかのようになってしまう。

感情は情報源。

「私は不安な気持ちに気づいている」と言うこと。
そう言うと、あら不思議。

感情は、さっと自分から離れる。距離が生まれる。
距離が生まれるから観察できる。

このように人について学ぶことは、世代に関わらず興味のあることだ。

研修の最初で必ず言う。

「業務知識や業務に関するスキルは時代とともに変わる、バージョンアップする。
少し前の知識やスキルが通用しなくなるスピードは早い。

しかし、人についての知識やスキルはどうだろう?
その本質が変わることはない。
ということは、皆さんは一生ものの知識とスキルを学ぶことになる」

と。

こうして期待感を募らせる。
もちろん期待どおりの成果が手に入る研修にする。

感情の質は人生の質。
感情を成仏させながら生きていく。

それも地に足つける今の世だからこその知恵だ。