こんにちは。storyIの猪俣恭子です。
『人生改造宣言』という本は、人生の質を高める考え方に溢れています。
その素晴らしさは翻訳にも見られます。
翻訳者は、原作者が英語で紡ぐ世界について、私たち日本人の心にしみる表現に見事に変えてくれています。
この本のファンが多いのも、そこにあるでしょう。
私は一日に一項目ずつ読んで、取り組むことを習慣にしています。
先日読んだのは、「#79/人を変えようとするのをやめる」。
その項目のラストの一文が胸にささりました。
「ありのままの自分を愛してもらいたいと思うなら、潔く、ありのままのその人を愛しましょう。
というより、自分がその人の欠点をいとおしいと思うか、確かめてください」
その人の欠点を、いとおしいと思うか…?
ですか!
「いとおしい」に相当する英語は何だったのだろうと興味が同時にわきました。
翻訳者は、「(欠点を)受け入られる」でもなく「(欠点が)気にならない」でもなく、何故に「いとおしい」という言葉を選んだのでしょう?
その人の欠点を、いとおしいと思うか。
いや、その瞬間、思えるか。
いやいや、その瞬間、「いとおしいと思える」ほどの広い心を持ち合わせているか。
解釈が拡がります。
コーチングを学び始めた頃の自分を思い出しました。
そのコーチングセミナーのファシリテーターは、コーチ達から一目おかれる方でした。
テーマは、「コーチとしてのファウンデーションをいかに整えるか」。
そのコーチが参加者に問います。
「自分を好きな人は、手を挙げて~!」
若き日の私は思うわけです。
「自分が好きな人なんて、いるわけないじゃん」
しかし、どうでしょう。
40人ほどの参加メンバーのほとんどが、迷いなくすっと手を挙げたのです。
え?
なぜ、私は手が挙がらないの?
なぜ、自分のことが好きだ、って率直に感じられないの?
そのコーチは、続けて言いました。
「コーチであるみなさんがクライアントを受け入れる前に、まず自分自身を受け入れることが大切ですよ」
と。
話を戻しましょう。
「ありのままの自分を愛してもらいたいと思うなら、潔く、ありのままのその人を愛しましょう。
というより、自分がその人の欠点をいとおしいと思うか、確かめてください」
という言葉。
「その人の欠点をいとおしいと思うか」というのは、「自分が自分の欠点をいとおしいと思うか」に比例して起こることです。
それは、決して「自分の欠点を野放しにする」という意味ではありません。
「まったく私にはこんなところがあって、恥ずかしいったらありゃしない!」とにこやかに迎えるか否か。
気楽に、気軽に、自分らしく生きるとか、一緒にいて気が楽にいられる人というのは、そもそもそういう人なんでしょうね。
自分の欠点は何ですか?
それをいとおしいと思えますか?
「いとおしいと思う」と決めたら、あなたに訪れる変化は何でしょう?
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