こんにちは。storyIの猪俣恭子です。

先日、友人と3人でブランチをした。
メインディッシュがたまたま3人とも一緒。

お店の方、「メインディッシュが同じだと、焼く時も一緒なのでとても美味しくなります」と(お肉の塊が大きい分、美味しくなるよ、という意味と判断)。

そして、デザートを選ぶ場面に。

デザートは3種類。もうどれもこれも美味しそうで迷う。
さーてと考え始めると、店員さんから天の声が。

「デザートは全部本当に美味しいんです。一つひとつの量もそこそこあります。ちょうど3人ですし、どれか1つに決めないで、シェアしたらどうでしょう? とりわけ用のお皿もお持ちしますよ」

おー、グッドアイディア―――。

シェアするねぇ。
以前はよくやっていたのに。

コロナ禍をきっかけに、「別々」が当たり前になっていたことに気づく。
人の行動パターンというのは、何かをきっかけにすぐ変わってしまうものだ。

それにしても、一つのものをシェアするということ。
お料理のみならず、他のこともある。
体験、知識、情報、ネットワーク…など。

自分だけが所有する、自分だけの感覚を超えた何か。
それがこれからの時代は以前にもまして、花ひらくような予感がしてならない。

コーチとしてメンターであること。
メンターする、メンターを受ける構造を超えて、お互いにシェアする、という感覚でやったら、どうなるだろう?

シェアという感覚。
いろんな意味で「今あるものの枠」を超えさせてくれそうだ。