こんにちは。storyIの猪俣恭子です。
はっきり言おう。
わたしは、国宝、重要文化財オタクである。
推しはいろいろあるが、なかでも本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)には好奇心いっぱい。
江戸時代初期に活躍した本阿弥 光悦。
彼は、日本刀鑑定の名門家系に生まれ、後世の日本文化に大きな影響を与えた芸術家だ。
豊臣秀吉とも繋がりがあった彼は、徳川家康の世になってから、京都は洛外の鷹峯に広大な土地を与えられた。
しかし、当時の鷹峯という場所は、追いはぎや辻斬り出るような、物騒な場所だったらしい。
経済文化各方面と多くの人脈を持つ光悦を家康がちょいと危険視して追いやったとも言われている。
しかしだ。
この鷹峯なる場所。
なんと、職人たち(絵師や蒔絵師、陶工や金工などの工芸家の他、筆屋、紙屋、織物屋など)が、次々と移り住む。
理由は、光悦を慕ってとか。
そして、一大芸術村が鷹峯に生まれた、というわけ。
一人の人を慕って「移住」が生まれるほどのことって、あっただろうか?
現在に至っては、とんと浮かばない。
本阿弥光悦。歴に名を刻んだアートディレクター。
それも時代の申し子といってよいのかもしれない。
わたしの人望はいかに?
そして、誰に人望とやらを感じる?
絶対測定できないからこそ、不変な何かがそこにある。
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