こんにちは。storyIの猪俣恭子です。

円覚寺の横田南嶺管長のお話をうかがう機会があった。
横田南嶺さんの新刊「はじめての人に送る般若心経」をもとに。

「空(くう)」が話題になる。

「空」とは、

すべての存在は因縁によって生じたものであり、実体のないものであるとする思想のこと

だそうだ。

質問が出る。

「空と無の違いは何ですか?」

興味深い。
横田和尚、こたえる。

席が無い。これは席が無いということ。
席が空いている。これは、席はあるということ。
何を置いても構わない。
家が無い。これは家が無いということ。
空き家、家が空いている、とは?
空いているから、誰が住んでも何人住んでも構わない。
すなわち、空とは、
なんでも受け入れられるということを言う。

「んー」と隣に座っている方が唸った。
そういうことなのか。

なぜか靄が晴れたような気持ちになった。

空 をイメージして、クライアントとともにいたら?
一緒にいるスタンスが変わりそうだ。

空 をイメージして・・・?

あっ、そうかと思う。
なんでも受け入れられる状態ということは、
なんでも入れられてしまうということだ。

例えば、感情。
そこに入るのが、喜び? 感謝?
それとも、妬み? 孤独感?

なんでも入る状態というのは、
ある意味、「何を入れるか」を選ぶ責任が生まれるということか?


しかし、空 のイメージからすれば、
入ったものが流れ去るのも自然のこと。
実態がなさそうだから。

ちょっと自分が思っただけで、できそうな気になってくる。

今の私の「空」には何が漂っていそう?
「焦り」がそよそよと漂っていそうだ。

そう認めたら、どうしたいかは自分で決められる。

窓の外を見る。
透き通った青が見える。

歩こうか。

心の空に 青 を入れる。
そんなイメージを持って。