こんにちは。storyIの猪俣恭子です。

うちのマンションの敷地に沿って側溝がある。

そこにポイ捨てのゴミ群が。
破れたビニール傘、空き缶など。

その側溝、金網あり。自由に入れず。
随分とそのままだったので、いい加減、自分でとってやろうと思う。

ゴミつまみトングを買って、ジャージ姿にでもなればできそうだとイメージする。
この金網の高さも十分越えられる。

と思ったが、ここで黄色サインが灯る。

そもそも金網が張ってあるということは、入らないでということだ。
不法侵入みたいに見られたら、やっかいだ。

その場所に入って、ゴミを拾ってもいいかどうか役所に聞いてみようと思った。
こんな確認するのもなんだかなと思ったが、一応念押しの確認だ。

そして電話をかける。
関係部署に電話を回され、最終的に「当方の課で現地に赴いて処分しておきます」とのこと。

翌日にはきれいになっていた。

自分でやる気満々だったので、しばし金網に手をかけて、一掃された土の上を見つめる。
どこの誰かは知らないが、これからポイ捨てしてくれるなよ、と祈る。

それにしても、電話をかけてみるものだ。
「だめもと」の威力をさりげなく感じる、ちょっとよい気分。

「こんなことをわざわざ確認すべきか否か」と感じるものでも、気楽に訊いてみてわかったこと。

自分で一人先回りして結論を決め過ぎているものって、案外と多いのでは?
その結論ありきで、すべてのストーリーを既成事実にしてしまっていないか。

「だめもと」ありきで、小さく動く、気楽に動く。
新しい結論がそこに見える、それが前進するということ。

そんなことを学んだ、今回の小さな出来事。