こんにちは。storyIの猪俣恭子です。
コーチングのスキルはそれこそ多くありますが、中でも「質問する」スキルは「聞く」「フィードバック」とあわせて、コアスキルといっていいでしょう。
それは、とってもパワフルなスキルです。
私たちの心に、思考に、とてもとても大きな影響を残します。
今回は、「ある質問」によってとても救われたエピソードを紹介しつつ、質問のさらなる可能性を探求していきたいと思います。
5年ほど前、新人講師Aさんの指導にあたっていた時のことです。
講師として登壇デビューするAさんに、彼女が担当する研修内容をひととおり解説し、受講者が取り組むワークやエクササイズのセットアップの方法や具体的な進行も事細かに教え、いよいよデビューする日まであと一週間となってきました。
準備万端のはずのAさんですが、口を開けば
「ああ、どうしよう。できるかな?」
「メモを見ないで話すなんてできない。資料見ながら話しちゃだめですか?」
「途中で話すことを忘れちゃったらどうしよう」
「ああ、緊張する・・・!」
と言うばかり。
聞いている私まで不安になってきます。
Aさんは、講師として大丈夫なのだろうか?
私の講師としての信条には、「講師たるもの不安を口に出すべからず。そういう状態で参加者の前に立つのは参加者に失礼である」というものがあります。
それをAさんに押しつけるわけではありませんが、それにしても「メモを見ながら話しちゃだめですか・・・?」と上目遣いに頼ってくるAさんを見るにつけ、情けなくなってきました。
「ダメです。参加者の立場で考えてください。自分たちと視線をあわせず、資料に目を落としながら台本を読んでいる講師を信頼できますか? 話を聞いてみたいと思えますか? 私はそう思えませんけれども」
「でも・・・」と口ごもるAさんを見て、「ここまで言ってもまだわからないんだ」と呆れ、自分の期待どおりの言動をとらないAさんにイライラしてきました。
Aさんはやる気がない!
どうしたらもっとやる気をだしてくれるのだろう?
デビューまで日がないのに。
このことを友人に相談しました。
友人は途中目を丸くして驚いたり、「うんうん」と親身に相槌を打ってくれたり、「そうなんだ」と私の考えに理解を示しながら聞いてくれ、最後に「猪俣さん、随分怒っているね」と共感の一言。
ああ私の気持ちをわかってくれると嬉しくなり、「そう、そうなの。私、すっごく怒っているのよ。それでね・・・」と続きを話そうとしたその矢先。
友人は間髪いれずに、「で、猪俣さんの課題は何なの?」と単刀直入に質問してきました。
その勢いに出かかった言葉はぐっと引っ込みました。
「え? 私の課題?」
私に課題なんてあるわけない。だって、私は正しいんだから!
「そう、Aさんのじゃなくて、猪俣さんの課題」
まっすぐに私を見据える友人の力強いまなざしに、もうその質問から目を背けられなくなりました。
正面からその質問と向き合わざるを得なくなりました。
私の課題?
その瞬間、多くの情報が思考をかけめぐったのです。
待って。
本当にAさんはやる気がないのだろうか?
Aさんは打ち合わせに遅刻することはないし、私が解説したところは赤いボールペンでびっしりメモをとるし、オリジナルの台本まで作ってきている。
自宅でスムーズに話せるように練習しているとも言っていた。
ということは? それってやる気がない人の態度?
いやいや違う、むしろやる気があるんじゃないの? それもすごく。
え?
私、Aさんがやる気がないって思いこんでいたってこと?
気づきました。
そう、私は「Aさんはやる気がない」と思い込んでいて、しかもそういうレッテルをAさんに貼っていたことに。
彼女に対して他の捉え方を全くしようとしていなかったことに。
で、私の課題は?
Aさんが安心して自信をもって講師として登壇できるようにすることだ、と。
だったら、Aさんが不安な気持ちを吐露したとしても、それを否定するのはやめようと思いました。
このように考えが変わった瞬間、あれほど苛ついていた感情はどこへやら、まるで憑き物が落ちたように穏やかな気持ちになったのです。
さて、Aさんが登壇する前々日の最終打ち合わせの時のことです。
この時点でもAさんの不安が解消されないようだったら、どこかのパートを私が担当してもいいかもしれない。
そうした提案も選択肢に入れながら打ち合わせにのぞみました。
打ち合わせでのAさんは、随分落ち着いているように見えました。
それでもまだ「どうやろうか」と悩んでいる様子も垣間見れます。
彼女の意志を確認しようと思いました。
「Aさん、大丈夫なの? できる?」
そうたずねると、「やりますよ!」と即答で返ってきたじゃないですか。
ためらいが全くない頼もしい声のトーンに、正直驚きました。
「やりますよ。猪俣さんがここまで教えてくれたんですから。やります!」
あのAさんがこんなことを言うようになるなんて。
よかった・・・と心底ほっとしました。
友人とのやりとりが思い出されました。
友人が私の愚痴ともいえる話をただ聞いていただけではなく、「猪俣さんの課題は何?」と質問してくれたから、Aさんを責めるモードから自分のやるべきことに集中できるようになれたのだと。
そうした結果が、今のこの嬉しい状況につながったのだと思いました。
もしもあの質問がなかったら、最後の最後までAさんへの不満はおさまらず、もしかしたら私とAさんは険悪な関係になっていたかもしれません。
そして、Aさんが登壇した研修当日のアンケートを見て驚きました。
私が担当した時よりも、参加者からの評価が高かったのです。
それは、Aさんの講師としての可能性がカタチになった証でした。
それからというもの、「あなたの課題は何?」の質問は私のお気に入りです。
折に触れ自分に問いかけているのはもちろんのこと、コーチングセッションで必要に応じてクライアントにも問いかけています。
しかしながらこの質問は、「今のこの状況を起こしている問題は相手や環境にある。どうしたら周囲は私の期待どおりに変わってくれるのか」という「ものの見方」を選択しているクライアントに、「でもあなたもこの現状をつくっている一人。だからあなたにも課題があるのでは? それは何?」と迫るものであり、かなりリスクを生じるものです。
クライアントは感情が揺さぶられますし、その後、もしかしたら二人の関係は混乱するかもしれません。
コーチの技量が試される質問です。
そうした場面を軽やかに演出できるためには、その質問を使う側が普段から当事者意識を持った生き方をしていることが大切です。
質問というのは、質問をする側の「生き方」が投影されますから。
それだけの質問をさっとやりのけた友人は、あっぱれとしか言いようがありません。
たったひとつの質問が、相手のその後の人生を変えます。
それだけの質問に出会えたこと、そうした質問ができる友人がいるというのは、私は恵まれているとしみじみ思いました。
何気に耳にしている質問、何気に使っている質問。
質問は、わたしたちの人生にプラスにマイナスに影響をもたらします。
どこを意識すれば、人生にプラスをもたらす質問を自分のものにできるでしょうか?
私なりに考えてみると、日常会話での質問を観察することは、今からすぐできる効果的な方法と言えます。
その質問がその後の自分や相手にどのような影響や効果をもたらしたのか、どうしてそうした効果につながったのか観察し、いいと思った質問を今度は意識して日常会話に使う…というサイクルをつくることです。
日常生活はとても身近な生きた教材です。
そのうち、私のように「自分のお気に入りの質問」が見つかるでしょう。
次回も人生の岐路をつくった「質問」のエピソードを語ります。
どうぞお楽しみに。
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