こんにちは。storyIの猪俣恭子です。

コーチングのスキルはそれこそ多くありますが、中でも「質問する」スキルは「聞く」「フィードバック」とあわせて、コアスキルといっていいでしょう。

それは、とってもパワフルなスキルです。
私たちの心に、思考に、とてもとても大きな影響を残します。

今から12年前、キャリアデザインセミナーを受講していた時のことです。

セミナー中、転職を考えている人にどうアプローチするかという事例が取り上げられました。

内容は、その人がキャリアの強みやスキルの棚卸しをしたものの自分に向いている仕事がわからなくなり、これからどうしたらいいのかわからない、どうしよう、というものだったと記憶しています。

「皆さんだったら、この方にどのように声をかけますか?」

講師の質問に私はこう答えました。

「『あなたはどうしたいですか?』と質問して、その方が自分の本当の思いと向き合う時間をつくります」と。

講師は「ふっ」と呆れたような表情をし、

「猪俣さんはコーチングを学んでいますから、質問に意識が向きますね。
でも、はじめからそんなことを聞いても、相談にくる人はなかなか答えられないものですよ。
どうしたいかわからないから相談にくるのですから」

と言いました。

どうも正解は、「よく相談に来てくれましたね」「行動しなくっちゃってわかっているのに、今の自分で通用するか不安で応募に足踏みしちゃうんですね」だったような・・・。

確かに自分がどうしたいかわからないから、アドバイスが欲しいというのはご尤もです。

今の自分が何について困っているのか不安に感じているのか言葉にできないから、それを察して言葉にしてあげることで、本人の思考がクリアになっていくというのも納得できます。

でも、本当に「わからない」のでしょうか?

本人の「わからなくなった」という言葉を100%鵜呑みにしてよいのでしょうか?

人は自分のことが「わからない」「思い込んでいる」ふしがあるように思います。
もしかしたら「わからない」とあいまいにしておくことで、「事実」と向き合うことを避けているのかもしれません。

だからこそ、「あなたはどうしたいの?」と他人から聞かれることで、はじめて自分という人間に向き合える瞬間が生まれるのではないかと思います。

「あなたはどうしたいの?」と質問する時は、こちらも相応の覚悟が必要です。

「あなたは自分の答を見つけることができる」と信じて問いかけるのですから。

しかし、質問する側に「体裁がいいからこの質問してごまかそう」のような邪な気持ちがあると、それが相手に届き、相手はその質問から心を背けます。

質問というカタチの一文に、質問する側の本音や気持ちやその人自身がどうしても乗ってしまいます。

「あなたはどうしたいの?」と質問して、相手が「わからない」と答えたら?

気落ちすることも動揺することもありません。
人の潜在意識は、問いかけられれば答えを探そうとアンテナを立て、その答えが見つかるまで探し続けるようになっていますから。

それに、答えられなかった質問ほど問いかけられた後もその人の内側で生き続けるはずです。

「あなたはどうしたいの?」の問いは、日ごろから自問自答して答えを導くことを課している人が使うからこそ、その真意が届く質問といってよいでしょう。

「相手は誰かのヘルプが必要。私がなんとかしなくちゃ」という見方をしていれば、深く沈んでいる相手の可能性を引き上げる質問なんてできません。

質問というスキルは、自分が相手をどう見ているのか、相手とどういう関係になりたいのかに根付く、とっても深いスキルと痛感するばかりです。

どうしたらいいかわからない時こそ、自分に問いかけてみませんか?

「わたしはどうしたいの?」と。