こんにちは。storyIの猪俣恭子です。
今日は、話している内容がいかに素晴らしかったとしても、それが活きるか否かは「誰」が言うのかがとても影響することについてお話しします。
研修講師として、まだまだ駆け出しだった時のことです。
あれは、管理職対象のコーチング研修を担当した時でした。
2日間の研修が終了した時、「ちょっといい? 話があるんだけど」と受講者のAさんから声をかけられました。
「猪俣さんはこの仕事を、本当にやりたくてやっているの?
僕にはどうも、猪俣さんが心底伝えたいことを伝えているように見えなかったけど、どうなの?」
図星だっただけに顔が熱くなりました。
実は準備不足のため、研修中「次に何を話すんだっけ?」とスクリプトの記憶をたどりつつ、緊張のあまり冷や汗をかきつつの進行だったのですから。
Aさんは続けて言います。
「もしも、猪俣さんが内容に納得していないところがあったとしても、講師として人前に立つときには、この内容はとてもいいと信じている状態でいないといけないよ」
まったくその通りです。
有難くそのフィードバックを受けとめ、主催の事務局にもこの件を報告し、今後改善していくことを伝えました。
しかし、事務局の方はAさんのその態度を一刀両断。
「ああ、Aさんでしょ。あの人、何かと難癖付けるから、気にしないでいいですよ」
一緒にいた方も
「何かひとこと言わないと、気が済まないんでしょ」
とこれまた一蹴。
何が二人にそこまで言わせたのかといえば、Aさんの受講中の態度に思い当たることが多々ありました。
「もう疲れたからさ、休憩にしようよ」「この研修、会社じゃ使えないよ」
と水をさす、休憩時間を守らない。
そうした態度に、次第に他の受講者の方も距離を置くようになっていたのでした。
夫に、研修の受講者からこんなフィードバックをもらったことを話すと
「普通は講師にそんなことを言わないでしょ」
とここでも一刀両断。
確かにそうでしょう。
しかし、言わないほうが私のためになるのか、言ったほうが私のためになるのかといえば、明らかに後者です。
にもかかわらず、周りからは「この人の言うことを気にするな」で終わってしまう。
話していることがいかに素晴らしかったとしても、それが活きるか否かは「誰」が言うかで決まる・・・。
根本的な何かとても大切なものがそこにあるように思いました。
上司になれば、ときには厳しい要求を部下にしなくてはならない場面があります。
そのときに、あなたの言うことであれば、「わかった」と部下は心から納得するでしょうか。
それともあなたのいないところで、「あんな言い方はないんじゃない?」「あの人だってできていないくせに」「現場のことを全然わかっていない」「好きなように言わせとけばいいよ」と言われているでしょうか。
もしもその答えが、後者に近いようであれば、日頃の自分自身を客観的に振り返る必要があります。
例えば、
- 私は、部下から見て、話しかけやすい雰囲気だろうか?
- 私は、部下の言い分を、ちゃんと聞いているだろうか?
- 私は、誰に対しても、公平な態度をとっているだろうか?
- 私は、結果が出たときだけでなく、プロセスでも褒めているだろうか?
- 私は、感情的に怒るのではなく、愛情をもって叱っているだろうか?
- 私は、自分自身も目標を持って、仕事に取り組んでいるだろうか?
「何」を言うのか、よりも「誰」が言うのか。
「あなたのためだったら、頑張ろう」と部下から思われる人なのか、それとも反感を買ってしまうのか。
果たして、今のあなたはどちらのほうが近いでしょうか?
コメントする