こんにちは。storyIの猪俣恭子です。
「そんなの無理! 私にはできない」
思わず尻込みしたり、他の誰かに代わってもらえないかと思案したり、どうしたらうまく断れるかと悩んだりということはありませんか?
でもちょっと待ってください。
それは「本当にできない」のでしょうか?
もしかしたら、「できない」と思い込んでいるだけ、ということはありませんか?
なぜそんなことが言えるかというと、私自身「絶対一生かかってもできない」と思っていたことが、いとも簡単にできるようになったことがあるからです。
私は学生時代に自動車免許をとりました。
しかし運転自体にかなり苦手意識があり、随分長いこと、ペーパードライバーでした。
ガソリンスタンドにも満足に入れない、車線変更も怖くてできない、まして車庫入れなんてとんでもありません。
助手席に乗った父はかなり怖い思いをしたのか、帰宅してから寝込んでしまったことさえあったほどです。
こんな有様ですから、免許をとってから12年間もハンドルを握ることはほぼありませんでした。
ところがです。義理の母の病院への送迎をしてほしいと夫に頼まれ、どうしても車を運転せざるを得なくなりました。
なんとかせねばと教習所の路上教習を申し込んだのです。
教習所の担当教官は、とても気さくな陽気な雰囲気の方でした。
運転中、教官から質問されます。
「なぜ運転できるようになりたいの?」
「義理の母の通院の送迎を頼まれたんです。それも毎日。困ったなあと思って」
「ふうん、そう」
「実は学生時代に免許をとったんですが、卒業する時に教官に言われたんです」
「なんて?」
「『君の運転は危ない。大きな事故を起こすタイプだから気を付けるように』って。それ以来運転するのが怖くなって・・・」
「そんなことがあったんだね」と、てっきり笑われるかと思いきや、予想に反し何の反応もありません。
2人の間にしばらく沈黙が流れます。
しばらくのち、教官ははっきりとかみしめるように言いました。
「それはひどいことを言われたね。
教官としてそれは言ってはいけないことだ。
ひどいことを言う人だなあ」
その言葉が、すとんと音とをたてて心に落ちました。
そうか、私は「ひどいことを言われた」だけだったんだ。
運転できない人ではなかったんだ。
あの時の教官が言ったことは事実じゃない。
自分でそう思い込んでいただけだったんだ。
路上運転の緊張のせいで浅かった呼吸はゆっくりゆっくりと深くなり、あたふたとハンドルを握っていた指には力が入り、おどおどとアクセルやブレーキを踏んでいた足に感覚が戻ってきました。
前を走る車、自転車に乗っている人、横断歩道を歩いている人、信号の色、対向車線の車、交差点、おぼろげに見えていた風景がくっきり見えてきました。
「私は運転ができない人」という「思い込み」は、霧が晴れるようにすーっと消えていくのが感じられました。
「今は確かに運転が下手。でも、練習すればきっと他の人のようにできる」
そんな自信がふつふつとわいてききました。
それからどうなったかというと、今や家族や友人から「運転うまいね。まさかこんなにできるようになるとはね」と驚かれるまでになっています。
本当はできるチカラがある。
にもかかわらず過去の経験にとらわれて「できない」と「思い込んで」しまっている。
それは少なからず誰にもあるものです。
だから言えます。
「そんなの無理。できない」と思ったときは、「できる自分を見られる」絶好の機会と捉えましょう。
あなただけに用意された、成長するためのシナリオなのだと。
今まで何回トライしても上手くいかなかったこともあったと思います。
これからもあるかもしれません。
どうしようと途方にくれたり、面倒そう、やっぱり今のままでいいや…。
と投げやりになってしまうこともあるでしょう。
その時は、そんな自分にそっと問いかけてみてください。
「それって本当?」って。
「できないって思いこんでいない?」と。
あなたの可能性を目覚めさせるのは、他の誰でもなくあなた自身。
「できた!」という爽快感や達成感は必ず得られます。
どうぞはじめから完璧を求めずに。
ささやなか一歩から。
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