こんにちは。storyIの猪俣恭子です。
「なかなか叱れなくて・・・」という相談をよく受けます。
どうして、私たちは叱るのをためらうのでしょうか。
「部下のモチベーションを下げてしまうのではないか」
「せっかくよい関係になっているのに、悪くなってしまうのではないか」
「注意したあとに、自分のほうが嫌な気持ちになりそう」
多くの方が、このような心配や懸念を感じています。
「叱る」は「心理学事典」では「挽回へのうながし」と説明されています。
「部下に成長や改善の機会を与える」という意味が、そこにあります。
「怒る」という言葉も「叱る」と同じように使われますが、その意味は大きく異なります。
「相手が自分の思いどおりにならないために起こる苛立ちや、不快な感情を解消しようと感情を相手にぶつけること」
それが「怒る」という行動の背景にあります。
私たちは、自分の感情を相手にぶつけるなんてよくない、大人のすることではないことはわかっています。
ですから、部下を指導する際に「怒らない」で「叱る」ように心がけます。
では、どこに意識をすると理想的な叱り方ができるでしょうか?
それを考えるたびに、必ず思い出すシーンがあります。
銀行に勤めていた3年目の頃、上司から叱られた体験です。
その時、私は上司のKさんと先輩と一緒にタクシーに乗っていました。
確か採用関係の話題を、私がもち出したように思います。
タクシーから降りるや否や、Kさんは私の正面に立ち、言いました。
「タクシーの中で、銀行の話をするな!」
ぴしゃりと短く一言、あと腐れなく、それで終わり。
人格ではなく、行動について指摘して終わり。
そこまで潔く言われれば、「しまった、これからは気を付けよう」と私も潔く受けとめられます。
おそらくこの経験があったからこそ、仕事を通して知りえた情報は他言しない、公共の場での話題は注意する、という習慣がついたと思っています。
「叱る」のは、「短く、一言で終わりにする」ことがポイントです。
もしも、Kさんがこんな言い方をしていたらどうでしょうか?
「タクシーの中で、銀行の話をしないでもらえると嬉しいけどな」
真綿でくるんだ表現に、じわじわと強制されているような気持ちの悪さが残ります。
もしくは、
「タクシーの中で銀行の話をしてもいいって、以前いた部署ではそう指導されていたのか」
と言われたら、以前私が働いていた部署の人たちへのあてつけや皮肉にも聞こえ、不快感が残ります。
Kさんは言い方がよかっただけではありません。
何よりも人望の厚い人でした。
Kさんの言うことであれば耳を傾けたくなる、Kさんのために頑張ろうと思える、そのような上司でした。
だからこそ「短い一言」に、こちらの心にずしんと感じるほどの重みがあったのです。
さて「怒る」についてです。
場合によっては「怒る」ことで部下にポジティブな影響を残すこともあります。
次回はそれについてお伝えします。
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