こんにちは。storyIの猪俣恭子です。
「すみません、すみません」とよく謝っている人を見かけます。
まるで謝ることを望んでいるような。
謝ることが目的になっているような。
「謝ることで何を手に入れているの?」
なんでしょう?
許してもらうことで得られる何かがあるのでしょうか。
その答えを『すぐやる!』(菅原洋平著・文響社)にとうとう見つけました。
ここに紹介したいと思います。
「やらない」」と決めたはずなのにやってしまうと、罪悪感を感じます。
罪悪感を持つと脳内の「両側内側前頭葉(りょうそくないそくぜんとうよう)」という部位が活性化します。
この両側内側前頭葉という部位には、期待感をつくる「ドーパミン」をキャッチする受容体が多く分泌されているため、期待感が高まります。この罪悪感の高まった脳は「罪悪感の後にとる行動」に期待感を持つようになります。
つまり、この罪悪感に基づいてとる行動を「とても価値あるものだ」と評価します。例えば、「やってはならないこと」をやって、相手を失望させたとしましょう。
多くの人は謝ります。
すると私たちの脳は、その「謝る」という行動に大きな期待をかけ、とても大事なものだと評価します。
ですから必死に謝るわけです。そうやって許してもらうと、脳は大きな満足感が得られます。
しかし、どんなに謝っても、「やってはいけない」と思っていることの原因は解消されていないので、必死に謝って許してもらったのに、また「やってはいけないこと」をしてしまうという悪循環に陥ってしまうのです。
「謝る」ことで、満足感を得ていたのですね。
「謝っている」自分を好ましく感じてしまっていたのですね。
自己肯定感も高くなっていたのかもしれません。
しかし、それらは儚く一瞬で消えてしまいます。
だから、またそれが得たくて何度も「謝る」行為を繰り返す。
「謝る」行為の要因さえつくりだす。
その要因こそ、「罪悪感」。
うしろめたさとか、「なんて私ってだめなんだろう」という自己否定も含むものです。
そういえば「自信がありません」とよく言う人もいますよね。
もしかしたら、「自信がない」ということを選んだ瞬間、心地よくなる何かがある…ということでしょうか。
罪悪感は人の成長に貢献するでしょうが、罪悪感にひたることは人生の手綱を放すことです。
そうならないために、まずは自分が罪悪感を感じている時に気付くことです。
気づいたら、そこで止まる。
そして、
「同じことの繰り返しにならないために、できることは何だろう?」
「この経験から学んでいることは何だろう?」
のように「謝る」だけで終わりにせず、「前進」させる問いをすぐに自分に投げかけましょう。
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