こんにちは。storyIの猪俣恭子です。

高校生の頃、部活の人間関係で悩んでいたことがあり、はたからみても元気がなかった時がありました。

みるにみかねてでしょう。
休憩時間に、ある友人がこんなふうに励ましてくれました。

「部活、大変そうだね。私は何も手伝うことができないけれど、話を聞くことだったらできるから。
辛くなったら、一人で抱えていないで話してね」

と。

こう言ってもらって、「あともう少し頑張ってみよう」と勇気がわいてきたことを今でも覚えています。

頑張ってもう限界となったら、友人が聞いてくれるから大丈夫、と安心感がひろがったのでした。

実際にその友人に聞いてもらうことは起きませんでしたが、聞いてくれる人が身近に確実にいると実感できることは、高校生の私にとって生きる力にさえなったものでした。

「聞く」という行為は、私たちが日頃思う以上の効果があります。

そこで、今回は二回にわけてこの「聞く」ことの意味を見ていきたいと思います。

ところで、「聞き上手な人」というと、誰か思い出せる人はいますか?

私の場合は、父がそうでした。

どのようなところが?
というと、それはもう相づちの打ち方が誰よりも上手!

こちらがのって話しているときは、小刻みにかぶるように。
じっくり考えながら話しているときは、タイミングを少し遅くしたり。

ときには強く高いトーンで、ときには静かに低いトーンで

「うんうん」
「うーん」
「そうか」
「それは残念だったな」
「よかったな」
「がっかりだな」
「よく頑張ったな」

など、時折入る合いの手も絶妙で、こちらの気分がさらにのってきたものでした。

しかも笑い上戸。

「はははははっ!」という豪快な笑い声と表情を柔らかく崩す笑顔は、場を明るく照らすほどのパワーがありました。

父に話をすると、「ああ、私には価値があるんだな」と実感できたものでした。

自分の居場所は確かに「ここ」にあると、安心感がひろがりました。

たとえ上手くいかないことがあっても、ここに戻ってくれば大丈夫、「よし、やろう」と行動への意欲がふつふつと沸いてきたものでした。

その時間は、考えが整理され、自分のいいところを再確認できたり、本当は何がしたいのかビジョンが見えてきたり、何から取り組めばいいのか行動もはっきりしたりと、私にとってかけがえのないものでした。

「聞き上手」というのは、それだけの効果を相手に及ぼします。

それは経験してわかっているはずなのに、こと仕事になると、いつでも誰にでもじっくり話を聞くというわけにはいきません。
何せこちらだって忙しいのですから!

しかし、こちらの「聞いている態度」がたとえ短い時間でも変わると、相手のパフォーマンスが大きく変わります。
私はそれを見てきました。

ずっと「聞き上手」でいなくてもいいのです。

かりに三分間くらいでも。

その三分間、表情、視線、相づち、うなずきに心を込めてさえいれば大丈夫です。

次回は、その効果についてエピソードを含めて紹介いたします。