こんにちは。storyIの猪俣恭子です。
もう10年ほど前のことです。
そのメールは突然、やってきました。
見覚えのある企業さんからのものでしたが、差出人は知らない方です。
さて?
「コーチング研修で弊社のAがお世話になった」とあります。
Aさんといえば、昨年のコーチング研修に参加された方。
代わりの方がこうしてお返事をくださるということは、Aさんは退職された?
しかし、事の顛末はそんなものではありませんでした。
Aさんが昨年の秋頃に病で亡くなった…とあったのです。
えっ! あのAさんが!?
実は、研修中にAさんのことが気になっていました。
基本編に参加されていたときのAさんは、それは意気揚々と活き活きと
「以前から、こういう研修にとても参加したかったんです!」
と、嬉しそうに話されていました。
休憩時間も声をかけてくださり、
「上司の役割は部下を守ること。私は何があっても部下を守ります。」
と、情熱的に繰り返し語っていらっしゃいました。
そんなAさんは頼りがいのある兄貴のようで、研修が終わって帰るAさんの大きな背中を、心強く見送ったものです。
それから数ヶ月。
フォロー研修で久しぶりに会ったAさんの様子は、何かが変でした。
くたびれているような、うつむき加減で、明らかに元気がありません。
どうしたんだろう?
仕事で上手くいかないことがあるのか、それとも部下との関係で何か心配ごとでもあったのか、それとも他に気がかりがあるのか…?
「最近、忙しいですか?」
と声をかけてみても、会社の様子を語るAさんの声は以前とまるで違って、しんみりした感じに聞こえました。
そんなAさんが気になって、会社のほうに年賀状をだしてみたのです。
またお会いできる日を楽しみにしています、そんな言葉で締めくくったような。
そのAさんが亡くなった…!?
メールをくださった方は、こんなことも書き添えてくれました。
Aさんは、コーチング研修のことをよく話題にしていたこと。
Aさんの机には、研修で書いたカードが置いてあったこと。
そこには、
どんな上司になりたいか、そのためにこれから始めること、変えること、やめること、
それらがAさんの「字」でしっかりと書きとめられていたこと。
カードというのは、研修の最後の場面で配ったカードのことです。
机に大切に置いてくれていたのですね…。
メールはさらに続きます。
「そんなAさんの『思い』を、今度は残った自分たちが育てていきます」
と。
それは、覚悟にも近いメッセージでした。
目頭が熱くなりました。
志半ばで逝くのが一生。
でも、生きている時にしていたこと、語っていたこと、存在そのものが見えなくなったとしても、こうして周りの人たちがそれらをつなげていくのですね。
わざわざメールをくださったその方に心から感謝しつつ、Aさんのご冥福を祈りながら返信しました。
さて、私という人からは、周りの人たちは何をつなげていきたいと思うでしょうか。
それはあるのか、果たしてないのか。
あったら、どのような思いなのか。
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